自分ストーリー

広島ボランティア その判断とは

2019年の10月11日~13日頃に通り過ぎた台風による被害に対して、ボランティアの話が上がった時、新しい事実を知った。

2018年の平成30年7月豪雨(西日本豪雨)における愛知から広島への災害復興ボランティアについて、僕の耳に入らないところでは様々な意見があったらしい。

・そんな遠いところまで、どうしていくのか?
・お金をかけてまで行くべきなのか?
・仲が良いから行くのではないか?
・危険なんじゃないか?

それを知って
・確かに人間関係はあった
・お金もかかった
・危険性もある
・近場の岐阜に再度行っても良かったか
仲間に声をかけた者として、自分の判断が間違っていたのかもしれないと思った

でも、そのあとすぐに、
・人間関係があるのに、助けにいけるのに行かないのは、何なんだ?信仰者か?
・お金も応援してくださる方がいるのに、受け取らないのは、誰のための見栄か
・これでもかと最後まで情報収集をし、メンバーへの危険性の説明は行い、保険に加入して、それでもなお”万全ではない”という意識で挑んだ
・近場の岐阜は、広島に行った時点では、人の不足はない(あっても福祉協議会の受け入れが間に合っていない)という事実があった。

ということを思い出し、
当時は届かなかった意見は、行動していなくて、状況を知らない人たちのすれ違いの意見だったのだと理解した。

でも。
その理解を生み出したのは、こちら側の行動と情報発信だった。

ちゃんと事実が伝わっていれば、その方々も協力者になってくださったに違いない。そんな中で協力してくれた人もいらっしゃったに違いない。

人は「自分にできることをしたい」と本質的には思っているけど、
その声に素直に従える人は多くない。僕自身がまさにそうだ。

ここに改めて、自分が考えていることを、言葉にして、
伝わるように変換して、調整して、拡げていく重要性と、

コトバには、身・口・意の三業アリと言われる通り、
行動をするならば、その想いを言語化することで初めて意図が伝わり、コトバの本領が発揮され、多くの方へ拡大する共鳴力を生み出すのだと、理解した。

きっと、当時聞いていたら、受け止められなかった意見を、
今、このタイミングで知ることができたことは幸福だった。

導きに感謝申し上げます。今回は直接現地には行かないかもしれないが、想いや願いは各地域まで拡げて、意識は忘れずに持ち続けたい。

以上、メモ

一日でも早い復旧復興を心よりお祈り申し上げます。

内田雅史

2019年10月18日
もしかしたら、誤解になるかもしれませんので、追記です。

  • この文章を書いた背景には、気付いた視点を公の場に残しておきたいという想いと
  • 誰かのお役に立てば、嬉しいなという想いがあります。
  • 批判的なものは、キレイに過ぎ去っています。

再び祈りを捧げて。

※この文章は、青年会員としての内田雅史の見解であり、生長の家愛知教区青年会の意見ではありません。